はじめに

当ブログは、そこらへんの普通の大学生が、読んだ小説とか観た芝居とか映画とか、あともしかしたら自分について、ふらふらと書いたり書かなかったりするかもしれないブログです。

文章を書くことは好きだったはずなのに、表現することから逃げていたらみるみる文章力は落ちるし自分がつまらない人間になっていく気がして、きっとそれは多感で有能感でいっぱいの10代から普通の20代に移行していく普通の過程だと思いつつ、何とか抗いたくて始めました。インターネットの僻地へようこそ。ブログを再開するのが三年ぶりとかなのでまだまだ改装中のシンプルブログですが、暇つぶしになれば幸いです。

 

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<わたし>

関東のどこかで大学生をやっています。便宜上ブログではアマリと名乗りますが他のHNもある。知り合いは気付いてもそっとしておいてあげてください、今のところ。

元ジャニヲタだったのに何の因果か若手俳優のおたくをやっています。

 

<推しさん>

舞台俳優界隈の端っこ(失礼)で活躍(?)中の若手俳優

私の人間観察能力が足りないのか未だに人となりを掴みきれていませんが、いい人です。たぶん。

まだ手探りなので本人の名前を明らかにするかは悩みどころですが、ブログの更新を続ければきっと察しのいい人にはばれてしまうだろうなーと思っています。

 

おそらくちょこちょこ書き換えます。

最終更新→2021/12/30

 

アイドルステージ GS382-暁の章- @Theater Mixa

『GS382 ―暁の章―』公式サイト


明けましておめでとうございます!

個人的2021年一番通った舞台の話をします。

年内に記事上げろよバカなのか?通い終わった後抜け殻となっておりまとめるのが遅れました…。

 


※当記事はアナザーワールドの外からお送りします。

※筆者のドルステ履修はプライムーンとGS382のみです。すいません石を投げないでください!!!2021年忙しかったんです!!!!今年のバレイベまでに見ます!!!!

 

 

<舞台そのものについて>

1部1時間弱、2部50分弱(たぶん。違ってたらこっそり教えてください)くらいのサイズ感のお芝居。個人的な話ですが映像情報を摂取する集中力があまりない&観劇してるといろんなことを考えて情報量がキャパオーバーになりやすい、という舞台俳優のオタクに死ぬほど向いてない体質の人間なのでドルステの1部くらいが一番集中力を持って観劇できます。ありがたい。

 

 

あらすじとしては、

伝統工芸の専門学校に通っているものの、成績が悪すぎて15回連続落第、留年の危機に面している加賀・富蛇野・焼田の3人組。「伝統工芸を広げる課外活動」を行い学校に認められれば足りない単位を取得できる、という校則に則り進級するためアイドルを始めるが…!?

という感じです。

 

 「(退学にならないためなら)なんでもします!」に「じゃあグダグダ言ってないで勉強しろよ甘えんな!」と割りかし冷たいツッコミを入れたりしながら通いましたが、1時間弱という短い時間の中で、3人の成長が綺麗に描かれている良いお話だな〜と思いました。何目線。

 GS382の3人、プライムーンの3人とはまた違ったバランスの取り方ですよね。確かに友人関係としては最悪だと思いますが*1、たとえ虚勢であれどその場の空気を作り出し、辿々しくも自分たちを「仲間だ」と宣言し、自分の作品や口調*2を崩してまで仲間を助ける、その関係性は確かに仲間だと思います。

 深友くんの「俺と一緒に、ステージの上で戦ってくれ」という切実さも、焼田くんが仲間を追うと決めたあとの鋭い目線も、めぐむんの「どうにかできないだろ!」も大好きです。GS382、ガチでスキ382!!!

 

 友情と、何かを為すための信頼関係は違う。このことって結構大事だと思うんですが、理解できない人には全く理解できないし、伝え方によっては人でなし!!みたいな反応にもなりやすい話題だと感じます。それを納得的に表現してくれたこの戯曲が好きだし、自分の中で上手く説明できていなかったことの一つを表してくれているなーと勝手に思ってしまいました。

 

 

 1部ラスト、382(GSをつけて!!GSを!!!)が「3人でしか見れない、見たことのない景色」を見ようとするシーン。

 このシーンは、作品の中でも「フィックション」が色濃いシーンだと思います。だって、彼らの語る"景色"は一種の比喩的表現であって、どこか物理的な場所に立てば見えるというものではない、というのは明らかです。それを見よう、と喧嘩して嗜める、というのは不自然と言えば不自然。だけど、不自然さ、作り物さを、どうにかこうにかリアルに落とし込む、というのが演劇の、エンタメの力の見せ所だと思うのです。

 彼らが「見たことのない景色」を求めて見つめるその先には、私たちが座る客席があります。アイドルステージの2部は、客席をも巻き込んでフィックションとリアルを接続しようとする試みだとも言えるわけで。一般的なお芝居である1部と、ライブパートの2部をこのシーンで繋げる、というのは、なんだかこの試みに私たちを誘っているようにも感じられて、メタ的な意味でもニクいなあ、と個人的には一番好きな演出です。

 

 

<ドルステに"推しの友達が出る"ということについて>

 私の推しさんは、今回ドルステに出ているアイドルの「お友達」です。

 アナザーワールドの「中の人などいない」という世界観、いろいろ意見はあると思いますが、初めて理解した時の正直な感想は「一歩間違えば演者にとてつもなく失礼なシステムじゃないか?」というものでした。今でも抵抗がゼロかと言われればゼロではないです。

 ですが。私が推しさんを追う上で自分に課していること、の一つに、「彼の選択は最大限に尊重すること」があります。*3

 ドルステに出るということ、AWを受け入れるということに関して、推しさん本人がどう考えているのかは私にはわかりません。多分一生語られることもないでしょう。だけど、彼がこの仕事を選択したということは紛れもない事実なわけです。だったら四の五の言わずに全力で乗っかるのが私の応援スタンスとしては筋が通っているかな、と思って乗っかった、つもりです。(趣味で通す筋とは…)

 全力で乗っかった結果としては、普段恥ずかしがってやらないようなこと(AWドルオタのコスプレ!と言いながらフチあり黒コンを楽しんだりファンサうちわを作ったり)を気兼ねなくできて楽しかったし、推しに干されても「まあ今日干されたの推しじゃなくて推しの友達だし…」もしくは、「今日干されたのは私じゃなくてAWの私だし…」と思うことができたので精神衛生的にも良かったなと。後世のドルステのお友達のファンの方は干されてもこのスタンスで気を強く持ちましょう!!!!!!(そういう話?)

 

 ドルステに通いながら色々考えたのですが、「その人本人」としての推しさんへの興味が、たぶん他の人より私は薄くて、依代としての推しさんを重視してるのかもしれません。選択を尊重云々、ということもあるけれど、根本的にAWへの抵抗感が薄かったのはここら辺じゃないかなーと思っています。基本的思考がアナザーワールド向き。笑

 そんな私でも抵抗感がなかったわけではないので、俳優さん本人のファンで、割り切れない気持ちを持ったとしても、それは自然なことだと思うし、自分を責めないでほしいな、なんて思います。若手中の若手!っていう俳優さんがいっぱい出るジャンルだからなのかな、中の人のファンに言及した文章をあまりネットで見かけなかったので言及してみました。

 AWは楽しいです。食わず嫌いせずに、一度は全力で乗っかろうとして損はないと思います。でも乗っかりきれなかったらその時はその時!劇場ではAWを否定しないようにだけ気をつけて(それは本当に怒られます!!)、自分の納得できるところだけ楽しめばいいんじゃないかな、と。私もアイドルステージのファンの方のコミュニティに入り切れたわけではないので、もしかしたら何処かで怒られているのかもしれませんが(笑)、劇場でとって喰われたりはしないので大丈夫です!!笑

 

 なんだかんだで、ドルステに通えて私は楽しかったです。1部ではたくさんお芝居見られたし!!これからも推しさんを同担として敵視しつつ頑張ります。

*1:というかあの3人は全員我が強いので海のような心を持っている人じゃないと友人としては疲れそうだ…笑

*2:めぐむんの口調は一種の作品なんだと思います、対人関係におけるキャラ作り的な…

*3:無批判に尊重する、というわけではなく尊重できないくらいズレた時は潔く降りる、という意味です

COCOON PRODUCTION 2021『泥人魚』@シアターコクーン

泥人魚 | Bunkamura

 

周りの大人から、「唐十郎とか好きそうだよね」と言われ続けた高校生時代。

そう言われたので何作か戯曲を読んだり映像を見たりはしたのですが、わかるようなわからないような、でもたしかに周りが「好きそう」と言ってくるのもわかるような。

唐十郎作品というものが心に引っかかりつつも、結局生で触れる機会がないまま来てしまったので、これは絶対に観に行かなきゃ!とチケットを取りました。

 


前評判で「難解」「よくわからない」という声を結構目にしていたので身構えてはいたのですが、予想よりは理解できたんじゃないか、と思います。もちろんよくわかんないところもいっぱいありますが(笑)、10割理解しなくてもいいタイプの演劇なことは最初からわかっていたので気楽だったのかもしれません。

セリフ聞き取れてないからわかってないんだな〜みたいなところも結構あって(これは私が複数回観劇を前提にした体質になってしまっているからだと思います)、わ〜〜あと2回くらいは観たい〜!!!と思ってしまった…でも入ったの前楽だったんで時すでに遅し……。WOWOWで観ます(忘れていなければ)。

 

 

 

現地で観たことがないなりの私のテント芝居へのイメージと、私自身の直近の観劇が比較的小規模な箱が多かったことも影響していると思いますが、最初の方は正直舞台上からの"圧"がないというか、濃度が低い感じというか…。わけがわからない!けど何かを頭に直接注入されている!と言った感覚を期待していたんですがそれがあまりなくて。まあ普通に私今観劇してるな〜みたいな。いや、事実としてはそうなんですが。

でも、宮沢りえさん演じるやすみが登場した途端、劇場内の隙間が全て埋まった感覚がしました。逃げられない感じがして、正直怖かった。人魚というモチーフは美しさと同時に、人を惑わしてどこか異世界に連れて行ってしまう、というイメージがあると思います。宮沢りえさんのやすみはまさにその人魚という存在そのものというか。可憐に笑いながら、それまでどこか現実にいた私を舞台の上の渦に引き込んでいく感覚はなかなか得られないものだなーと感じました。

 

 

ここからの下りは誤読している気も多分にするのですが、現状としては、マスターキーを泥の中に捨てるシーンが一番好きです。月影さんの「おかえり、椿」がとてつもなく美しく劇場に響いて、でも椿は帰りたくなかった、帰る場所なんてなかったのかななんて思ったりしました。やすみは人じゃなくて人魚になりたかった。鍵を渡して仕舞えば海と自分はどこまでも分断してしまって、でも鍵を渡さなければやすみをやすみとして救ったガンさんたちの生活は壊れてしまうかもしれない。やすみという存在を完全に妖精のような、妖怪のような、ある種伝説的(?)存在として描くのならやすみはあそこで嘆かないと思います。しかしそこでやすみが何の迷いもなく鍵を捨ててしまうのではなく漁師町の人々を想うところに、彼女が今までたしかにそこで暮らしてきた生臭さというか、息遣いを感じました。

全体的に人々の暮らしの生臭さというか、泥臭さというか…を感じる演出と脚本だなと振り返ってみれば思います。だから「泥人魚」なのかな〜。 

 


中盤からずっと舞台上にあったブリキの板はある意味ギロチン堤防と同じ意味を持つというか、「断絶」の象徴だと私は読み取ったんですが(これまた誤読かもしれません)、そのブリキの板が最終的に鱗の素材となることにも私は意味を感じずにはいられないです。断絶は私たち人間が作るものだし、私たちがこねくりまわしてなにか大切なものを歪めながらも飯の種とするもので、でも断絶を乗り越えるのも私たち人間なんだなあと思ったり。

蛍も人魚も、一般的には泥の中では生きられないというか、水質の良い場所でしか生息できませんよね。(人魚はまあ伝説上の存在なのでイメージですが)

ラストシーンは本当に美しく感動しましたが、果たしてあれが夢か現か、現だとしてもあの後どうなってしまうのか。そんなことを考えるのは野暮なのかもしれませんが、考えざるを得ない、そんな観劇納めでした。

 


おわり!